2013年3月

2年目の3月11日

人それぞれに様々な思いを飲み込んでじっと2年目を迎える。人生は、突如として思いがけない事態に突入することがあるのだ。自然を前に天変地異は諦めるしかないのだが、人災の疑念を感じるものは悔しさが付き纏う。大切な存在を失った人々の嘆きは深く重い。

遅々として進まぬ復興に、人々の気力が日に日にしぼんで行く。市町村の区画整理の合意形成に要する時間軸、がれきの片付け・堤防の修復・盛土による浸水地域全体の嵩上でようやく始まる復興街づくりの10年単位の時間軸に、被災した生活者や事業者の今日明日の生存の時間軸が噛み合わない。復興庁、復興特区制度など組織と仕組みや予算はあるはずなのだが、どれほど機能しているのだろうか・・・?

“津波てんでんこ”とは三陸地方の津波時における逃げ方の家訓である。津波が予測されるときバラバラになった家族各々の自力脱出能力を信じて、先ず自分自身が生き延びよ、その結果として皆が助かるという意味である。自然に対して、人間は余りに無力なので普段は助け合って生活をするのだが、非常時にはそれぞれ自力で逃げ道を探し、自力で生き延びることが家族や共同体の生存につながると言う教訓だ。

しかし、冷静に考えてみると自然災害への対処のみならず、これは、原発事故の対応や新たな街づくりの遅れに見られる棄民政策のような“人災”への対処の仕方とも思える。なすすべなく翻弄されるのではなく、各自が自力で立ち上がる。自助努力無しに道は開けない。今ある支援を有り難く受け止め、生存の時間軸は自分で決めるしかないのだ。災害から立ち上がる自立した生活者と事業者の熱い想いが渦となることが、行政のエネルギー政策や地域の復興事業に血を通わせて行くことになるはずだ。

 財政が崖っぷちであり経済の実態がないのに、ドル札をジャブジャブ印刷して成り立つ米国の史上空前の株高。それに連動する成長戦略なきアベノミクスやTPPの時限爆弾。砂上の楼閣だった原子力の安全神話に似た危うさだ。自然災害よりも人災の方が恐ろしい。今必要なのは、持続可能なエネルギー政策であり、復興予算を被災地に渡すことであり、中国や韓国に負けない産業の育成であり、自然と共存する知恵を子孫に伝えることである。自立した生活者と事業者の津波てんでんこは、未来に向かって未だ始まったばかりだ。

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