日記

北国の春

慣れているつもりでも今年の冬は、寒さが一層長く厳しく、春が待ち遠しいものでした。

大槌湾に面した釜石市片岸町の災害廃棄物処理施設は、事務所も休憩所も激しい突風で被害を受け、山側のドアには板が打ち付けられ、窓ガラスはガムテープで補強されました。最終処分場への長距離運搬は、凍結した路面が吹雪になると一気に視界が利かなくくなり、前車のテールランプを頼りに進むしかない過酷さなので、ドライバーの無事をただひたすら祈るしかありませんでした。

釜石の今年の桜は、お陰様で町の各名所で見事に咲き誇りました。この2年、華やかな桜花と壊滅した市街地との精神的な距離がかけ離れていたのですが、今年はようやく太陽の温もりとその有り難さを実感する事が出来ました。しかし、盛岡市内は冬が厳しく長かったので鳥の餌が不足してしまい、桜の花が鳥についばまれ、残念ながら満開を堪能できない寂しい花見となってしまいました。

写真は5月3日の北上展勝地です。不安定な天気でしたが、空の青と薫風が花見の人々を時々包んでいました。

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備えあれば、憂いなし

1995.1.17は、阪神淡路大震災があった。その半年ほど前、創業間もない会社の売上創出のために尾道の支援者にビジネスの手掛かりを求めて出かけた帰り道、仲間とともに車で神戸市内を観光見物したものだった。その後、煌めくような歴史文化と現代の経済的繁栄が培った落ち着いた清潔な街を来ないと言われていた筈なのに突然、直下型の大地震が襲った。

2011.3.11は、東日本大震災・大津波があった。7年半前、釜石湾を目の前にする鉄工団地に企業立地する時、骨を埋める覚悟であればこそ、来るべき津波に備えて少なくとも竟の住処は高台でなければならないと大平町の住宅街を隈なく歩き回ったものだ。その後、普段は風光明媚で穏やかな三陸の海岸をやはり、とうとう来たかと地震と大津波が襲ったのである。

三陸沿岸の陸地は北上高地の岩盤に支えられているので、地震による被害は皆無に近い。60年周期の大津波襲来は大地震発生から30分程の間隔があるので、健常者は近くの高台等安全な場所へ逃げられる。しかし、素早く逃げられない高齢者や幼児等の住宅や病院、老人ホーム、保育園等は予め安全で快適な現代的高層ビルへの集約が有効と考えている。

2度あることは3度あるので、事業のもう一つの拠点の東京では、房総沖などの震源地や直下型の地震が何時か必ず来ると言う不安が確信に変わりつつある。関東大震災後の後藤新平氏の東京復興計画は道半ばだ。消防自動車も入れない木質住宅密集地域の区画整理を放置して、オリンピック誘致に現を抜かすしっぺ返しが必ず来ることを覚悟すべきである。

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富岡八幡宮例大祭2012

3年ごとに行われる深川の富岡八幡宮例大祭神輿連合渡御は、昨年3月11日の東日本大震災・津波で中止となった。従って、今年8月12日晴天に恵まれた4年ぶりの例大祭は、大きな盛り上がりを見せた。
中でも世界遺産の被災地奥州平泉神輿への声援に心が温まり、永代通りを埋め尽す55町の神輿連合渡御は壮大で素敵なお祭りだった。

動画はこちらから
http://www.youtube.com/watch?v=EOvghMciinE&feature=channel&list=UL

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設立20周年

会社が6月17日で設立20周年に突入した。バブルが弾け、失われた20年の中でささやかで一瞬鈍い輝きを放つことがあったとしても、そろりそろりと牛歩のような歩みであった。

再生エネルギーは太陽光や風力、水力、地熱等自然エネルギーが主役であるが、津波被災含む波乱万丈の来し方を踏まえ今後の弊社の仕事は、廃棄物エネルギーの地域活用である。

お陰様で漁網や浮球等漁業系廃プラスチックや医療廃棄物のエネルギー利用が見えてきた。
経営的には長い間会社のお荷物だった釜石環境技術センターの出番がやって来たのである。

又、新会社銀河エナジーは既に釜石市災害混合廃棄物中間処理事業の主力実働部隊である。
片岸集積所での試行事業を踏まえ、現在本事業で60人の地元社員が復興に向け奮闘中だ。

松尾鉱山に生まれて釜石に帰って来た団塊世代の私の役割は、首都圏での事業経験や固有の情報と人脈を岩手に繋げて、地方及び首都圏の雇用と経済を活性化する事に他ならない。

そういう意味では20年掛けて漸くやるべき事のスタートラインに立ったに過ぎないので、
背中に負った掛け替えのない荷を大切にして、体力と気力を鍛えつつ折り返して行きたい。

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